「次の暴落は?」過去から知る/ニクソン・ショックと為替の下落

「ニクソン・ショック」は、1971年8月15日、アメリカのニクソン大統領が発表した「金とドルの交換停止」等のアメリカ景気刺激対策に端を発した、株価と為替の下落のことを指しています。

これをきっかけに、金とドルの交換を停止したことでドルの価値が急落し、それまでドルを基軸としていた国際通貨制度(ブレトン・ウッズ体制)が崩壊。為替が変動レートへと移り変わっていきます。
ドルの価値が急激に低下したことから、またの名を「ドル・ショック」とも呼ばれています。

この「ニクソン・ショック」は、当時の世界経済に大きな影響を与え、リーマンショックやオイルショックなど、○○ショックの先駆けともなるセンセーショナルな出来事でした。

スポンサードリンク

アメリカ経済の行き詰まり

第二次世界大戦後、アメリカなどの経済援助から、西ヨーロッパや日本は急激に経済復興を遂げていきます。
それまでアメリカ側の輸出過多で進んでいた貿易も、徐々にその立場を逆転させ、日本の輸出過多へと移り変わっていきました。

1971年、アメリカはなんと100年ぶりの貿易赤字を記録しています。

10%の輸入課徴金の導入

そんな中、ニクソン大統領は、アメリカの経済危機を救うべく新経済政策を打ち出しました。

そのうちのひとつが、ドル防衛策となる「10%の輸入課徴金の導入」です。

アメリカへの輸入品すべてに、10%もの課徴金を課すことを発表したのです。
高額な課税をすることで輸入の超過を抑え、海外諸国へのドルの流出を防ぐ狙いがありました。

ベトナム戦争とアメリカ経済

1971年の時代背景をみると、アメリカは長期化していたベトナム戦争で膨大な軍事支出を抱えていました。
その額は国家予算の1割を占めたとも言われていて、いかに膨大な費用だったかが分かります。

また、それまで社会保障を削り軍事予算を拡大していましたが、ニクソンさんが大統領になると、取り残されてしまった貧困世代を救うための対策として、社会保障を手厚くする政策を開始します。

軍事予算の拡大や社会保障費の増加に財政がひっ迫しているところに、貿易赤字へと転落したアメリカは、ついに多額の国債の発行大きなインフレを起こしたのです。

ドル円為替相場の行方

これまでのドル円は、ブレトン・ウッズ体制により、1ドル=360円と固定レートでした。

ブレトン・ウッズ協定
第二次世界大戦中の1944年、各国の経済や政策が不安定な中で、比較的経済が安定していたアメリカが主体となり、世界の経済を安定させようと連合国44力国の首脳を集めて会議を開きました。
アメリカのニューハンプシャー州ブレトン・ウッズで開かれたことから、この名前が付けられました。

その中で、国際通貨体制に対して為替相場の安定を図るために、アメリカと欧州が主導し、金本位体制ではなくてドルを基軸通貨として「金・ドル本位制」にしようという取り決めがなされます。(ブレトン・ウッズ体制)
1オンス=35ドル。ドルを唯一金と交換できる通貨とする取り決め。
この時に、円は1ドル360円の超円安の固定レートとなりました。

初めは上手くいっていたブレトン・ウッズ体制ですが、欧州や日本が戦争の混乱から回復し経済が安定していくのと相反するかのように、米国の経済はインフレを起こし悪化していきます。
それにつれて、ドルが切り下がるのではないかという期待から、みんながドルを金に交換しようとし始めました。

世界中の人々がドルを金に交換しようとすれば、当然ながら、米国一国だけでは金の需要をまかないきれなくなり、ついに1971年ニクソン大統領は金とドルの交換停止を宣言したのです。
これで、ブレトン・ウッズ体制は破たんします。

金・ドル本位制の崩壊

世界中に何よりも衝撃を与えたのが、この「金とドルの交換停止宣言」です。

この宣言によって、それまで金と交換できる世界の基軸通貨として運用されていたドルが、その役割をなさなくなります。

当然、ドル売りが殺到します。
欧州はこの混乱を予想し証券取引所を閉めていましたが、日本は特別な措置はなく通常通り営業していたため、翌日からの相場は大荒れとなりました。

○日経平均の動き

ニクソン・ショック前:1971/8/13(金) 2727.80円
ニクソン・ショック後:1971/8/18(木) 2190.10円 -537.7円(-24.6%)

株価だけを見ると、たった500円かと思いがちですが、%を見ると1週間で-25%近い下落率となっており、当時の混乱ぶりがうかがえます。

現在の日経平均株価22000円を基準に換算すると、1週間で5200円以上も下落した計算となります。ぞっとしますね。

ドル円・為替相場への影響

ニクソン・ショックをきっかけに、1971年12月主要10か国は、ドルの切り下げを容認するスミソニアン協定を締結します。

これによって、日本円は1ドル=360円から308円と切り上げられました。(ドルから見ると切り下げ)

また、ドルの価値が保証されなくなったため、各国は相次いで変動レートへと移行していき、1973年には完全に変動レートへと変更。
ドルのレートは、さらに下落していくこととなりました。

ドル円は、1ドル360円だった1971年から、たった2年後の1973年には100円以上値を下げて、250円をつけています。

ニクソン大統領のこの宣言は、ドルの流出を防ぐための政策で、実質アメリカが輸入を制限することを意味しています。
ドル高になればなるほど、結果としてアメリカの貿易黒字は増えていき、アメリカの目論見通りにことが進んだといっていいのではないでしょうか。

しかしながら、世界経済へ混乱を与えたアメリカの威信は、当然ながら低下していきました。

変動する為替相場は、世界的な金融危機のきっかけともなることから、あまり良しとされていないのです。

ニクソンショックをきっかけとして、変動レートが現代まで維持されていることで、何度か世界規模の金融危機が起こっているのはみなさんもご存じのとおりです。
ニクソン大統領の宣言が、どれほど影響を与える政策だったのかがうかがい知れます。


さて、これらの極端に激しい政策、どこかで聞いたことがないでしょうか?

現アメリカ大統領のトランプさんです。

トランプ大統領が、ニクソン大統領のスピーチを意図的に真似し「サイレントマジョリティ(声なき民衆)」というワードを口にしたことはまだ記憶に新しく、彼をロールモデルとしているとも言われています。

今後トランプ政権が長く続くようなら、第二の「ニクソン・ショック」が起きる可能性も0ではないのかもしれません。

 

おすすめ記事

株価暴落

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください