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私の投資成績-初心者だったときに失敗から学んだ投資の教訓

私の投資成績

今回は、私の初心者時代(今でもベテランかといわれると微妙ですが)の投資を始めた時の失敗成績とそこから学んだ私の投資の教訓を投稿したいと思います。

最初と2回目の投資は、痛い損失で相当のマイナスを食らいました。
それを含めて赤裸々に書いていきたいと思います。

タイバーツへ投資 バーツ定期預金

時期:1997年→2010年 

バーツ定期預金 100万円 → 85万円  
損益額/率 15万円/▲15%

備考:預金を始めて4か月後にアジア通貨危機で損失を出す。しかも、近年まで日本円に換金できなかった

IT関連株へ投資

 
時期:2000年→2003年 

IT関連株とIT関連投資信託に集中投資 350万円 → 150万円
損益額/率 200万円/▲57%

備考 投資を始めてから2~3か月後にインターネットバブル崩壊、元本が半分以上を失う

その後の投資

3度目の投資は、金融市場最悪の悲劇である2008年のリーマンショックの半年前からで、その後も1000年に1度の自然災害と言われる東日本大震災の大暴落を経験しながらも、そこそこの利益を出してきました。

なぜ1回目のタイバーツ投資と2回目のIT株投資は失敗したのか?

それでは、どうして1回目、2回目はもう少しうまく動き、利益を出すまでは行かなくとも、もう少しうまく損切りができなかったのかと、自分の投資歴をまとめながら自問自答してみました。
そして、ある事実に気づかされました。それは、実際の株価暴落による景気後退が私自身の生活にも大きな影響を与えており、当時は株や投資信託の売買をしている余裕などなかったのです。

具体的に申しますと、私の第一回目のバーツへの投資は、1997年です。1997年と言えば、橋本政権下の緊縮財政策により、北海道拓殖銀行と山一証券が倒産し、一気に日本の景気が後退した年です。私は、当時公共工事の建設関係の仕事をしていたのですが、1995年くらいから社内でリストラが盛んに実施されていました。公共事業を通し、尻すぼみしていく日本経済を実感していた私にとってアジア経済は希望の星でした。1989年のバブル崩壊以降、パットしない日本経済を尻目に、アジア経済は急成長していました。中でも、タイの経済成長は目覚ましかったので、私は、タイがどんな国なのかも知らず、取りあえずバーツを100万円定期預金にしたのです。

その一方で、自分の仕事には、「このままでは、将来は真っ暗だ!」と思った私は、1997年5月に、それまでとは、全く縁のないIT業界に転職します。まだ、日本でWindows95が発売されたばかりで、まだ殆どの会社では、社内LANさえ無いITの黎明期です。最初の私が入ったIT企業は、現在主流のネット上のサービス事業ではなく、社内LANの構築やハブ、ルーターを設置するようなインフラ系の仕事でした。IT企業といっても、私の入ったLAN/WAN事業の業務の流れは、「営業→提案→設計→実装→サポート」とネット業界と比べると、旧来型事業と殆ど同じです。しかし、それでも、今迄とは、全く違う仕事内容や人間関係(実力主義)に度肝を抜かれ1年くらい放心状態だったのを今でも覚えています。そして、その会社も1年しないうちに、同業他社に買収され、転職てしまいます。そんな中で、タイバーツの売買などに気が回るはずがありません。

また、第2回目の投資はIT関連の株や投資信託を中心に2000年年初から始めています。その時なんで、私がITに投資したのかというと、自分がその業界に身をおいて、自分の業界に自信を持っていたからです。以前働いていた建設業界と比較すると、就業者も若く、活気があり、意思決定から実行のプロセスが100倍速でした。また、社員1人1人の企画力や実行力も比較にならず、何をやるにも、少し乱暴なところはありましたが、実際に会社の業績の成長率も天地程の差がありました。これなら、この業界に投資しても大丈夫だろうと、自分の会社の親会社が組込まれている米国の投資信託を見つけて複数件投資したのを覚えています。

市場の変動というのも、規模の大小はあっても、直接的、間接的に必ず個人にも影響します。私の場合は、その影響をもろに被りました。私は当時、前述したように、インターネットバブルの一角を担っていた米国企業の日本法人で働いていました。そのころは、30前半でしたが、会社側も経営指標などは、社員に全く開示しませんでしたし、私は、単なる従業員でしたので会社の経営状態など全くわかりませんでした。そんな時、ネット上のニュースで、米国本社の株価がインターネットバブル崩壊で1/5000以下になり、上場廃止になったのを知り唖然としました。その後は、米国本社は他社に買収され、会社の名称も変更され、日本との資本関係もなくなっていきました。日本法人も出入りが激しくなり、役員クラスは毎月誰かが変わっていました。絶頂期は、150人程居た従業員も2年間で70人前後まで半減しました。それからの5年間は、毎日のように誰かが辞め、怪しい誰かが入社してくる…、そんな毎日がしばらく続きました。今、振り返ってみるとインターネットバブルのど真ん中で、ネット企業の買収劇をドラマ化した映画のような会社だったなあと思います。その企業入社して間もなかった私は、唖然としながらも、建設業界では味わえない、マンガのようなドタバタの毎日を半分楽しんでいたような気もします。しかし、やはり、自分の職を守るために株の売買には気が向きませんでした。

そして、ネットバブルもだんだんと落ち着きを取り戻し、一時はネット関係企業はすべて怪しいとレッテルを張られてしまいましたが、だんだんと世の中も落ち着きを取り戻してきます。真面目に実績を挙げているネット企業も世の中から一目置かれるようになってきたのが2005年前後です。その間、多くのネット企業が生まれ、また増員する企業も増えてきました。そんな中、私自信も2度転職を経験し、現在の職場が決まり、仕事も落ち着いてきたのが、2007年終盤だったのです。

投資の失敗から学んだこと 私の教訓

1回目のバーツへの投資も2回目のインターネット業界への投資も、敗者のパターンがあると思います。

    1.ピークに達して一般に知れ渡った景気の良い情報を元に、景気のピークアウトする最終局面で、バーツやネット関連株、投資信託を高値を掴まされる
    2.景気がピークアウトし、自分の就業環境も激変していて売買行動を起こせない
    3.景気の底近くで、安値で損切する

投資の最悪なパターンですね。

さすがに、3度目は市場が落ち着き、株価が戻ることを予感し、2年我慢し、投資し続け、利益を出すことができました

この2回の大失敗と1回のプチ成功で学んだことがあります。
それは、以下のような教訓です。

1.株や為替には、短期、中期、長期の循環がある

2.景気の良い情報が流され一般化している時は、既に遅い(ピークアウトが近い)

3.大型調整(アジア通貨危機、インターネットバブル、リーマンショック、東日本大震災のような)の場合、すべての株が下がる

4.大きな損失を出していても、少しづつ我慢強く買い続ければ必ず利益がでる

これは、私の投資歴をおおざっぱに反省しただけで、その失敗をおそらく教訓にして3回目は臨んだために、今のところそこそこの収益を挙げられているんだろうと、自分の投資歴をまとめて今感じていることです。しかし、なんでリーマンショックや東日本大震災の大惨事を経験しながらも、収益を上げられているのか?株価急落や上昇の時に、どのような行動をとったのかの記録は残念ながら残していません。残っているのは、2009年頃からの評価額/元本を、なるべく毎日Googleカレンダーに残してるくらいです。

そして、2008年以降の3度目の投資歴に、どうして、収益がでるようになったのか?日経平均の上昇期、下落期、停滞期、どういう投資行動をし、どういう実績を残していたのかも、私自身、実はよくわかっていません。
この時期に明確な投資戦略があったわけではなく、1度目、2度目の投資歴との違いは、

1.毎年年末に決算を行うようになったこと
 
2. 大きく下がった時に株式を購入するようになったこと

3.暴落時にあまり動揺しないよう努力したこと

この3つくらいでしょうか。しかし、これを何かの方針に従って実施していたわけではありません。
ただ、さすがに2回も失敗すると、考えてみれば、過去のデータから日経平均の動きのパターンをある程度把握しておいて、それに基づき投資方針を決め、それを愚直に実施していければ、もっと大きな収益を出せていたはずです。

今後は、日経平均の過去のデータをもとに様々な仮説を立て、実証を行い、私達素人でも十分利益の上がる投資法を開発していきたいと思っています。

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