「ブラックマンデー」から30年/記録的な株価大暴落が起きた3つの理由

ブラックマンデーとは、1987年10月19日、アメリカのニューヨーク証券取引所で前触れもなく突如として起こった、株価の暴落のことを指します。

月曜日に起きた暴落だったことから「ブラックマンデー」、またの名を「暗黒の月曜日」と呼ばれています。

この日、NYダウはたった1日で、-22.6%もの株価の下落を記録しました。
これは、世界恐慌のきっかけとなったブラックサーズデーの下落率-12.8%をはるかに上回る下落率です。
NYダウに引きずられる形で、世界中がパニックを起こし各国でも次々と株価の暴落を招きました。

○ブラックマンデー翌日、日経平均の下落率
NYダウが大暴落を起こした翌日の日本市場、日経平均は、-4000円(-15%)近い下落となりましたが、当時はバブルの好景気真っ只中だったということもあり、翌年1988年3月ごろには元の株価近くまで値を戻しました。

1987年日経平均株価 終値前日比
10月19日25,746.56
10月20日21,910.08-3,836.48(-14.90%)
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ブラックマンデーの引き金となった、3つの理由

アメリカでブラックマンデーが起こった正確なコレというきっかけは定かではありませんが、NYダウ市場が下落方向へ向かう要因となった理由は3つあります。

その原因は、アメリカの経済状態にありました。

アメリカの抱える、双子の赤字


当時のアメリカは、「財政赤字」と「貿易赤字」双子の赤字に悩まされていました。

1979年に起こった第2次オイルショックにより失業率は高くなり、経済状況は悪いのにインフレが進むという、スタフグレーションが起こり、国内の景況感はますます悪化していきます。

スタグフレーション
「stagnation(停滞)」と「inflation(インフレーション)」の合成語。
不況と物価の上昇が併存している状態を指すます。

1970年代からベトナム戦争での軍事費拡大、社会保障費の増大でアメリカの財政はひっ迫している状態が続き、1980年代には続く貿易赤字からレーガン大統領がドル安を進める政策「レーガノミクス」を打ち出していきます。

○レーガノミクスによる、財政赤字対策

・財政赤字(歳出)の削減
社会保障などの項目で支出を減らし、財政の回復を試みます。しかし、軍事費用は増え、結局赤字は垂れ流しのままでした。

・減税の実施
個人所得税率を3年間にわたり毎年一律10%引き下げることで、貯蓄や消費を増やしインフレの解消を目指しました。

結果的には、財政支出が減らなかったことに、さらに税金が減り、双子の赤字の内「財政赤字」は解消が出来ませんでした。

また、財政赤字が拡大したことで、多額の国債を発行しなくてはならず、金利が上昇。ドルは下落しドル高となり輸出額が減ってしまったため、貿易赤字も拡大していくこととなります。

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ルーブル合意の破たん

ドル安が進めば進むほど、輸出が増え、アメリカの貿易赤字の解消へとつながることから、アメリカはドル高を是正し、貿易赤字をなんとかしようと試みます。
協調的なドル下げを実施することで、先進国5か国との合意を得ました。

これが、「プラザ合意」と呼ばれる、ドル下げ宣言です。

ドル円は、ド一週間も経たないうちに1ドル210円台までドル安が進み、1987年には1ドル140円台まで到達し、すごい勢いでドル安は進んでいきました。

あまりにも急激に進むドル安に、今度はまったをかけたのが「ルーブル合意」と呼ばれる声明です。

G7会議の場で、これ以上のドル安は世界経済にもよろしくないという議論が行われ、「ドル安に歯止めをかけよう=協調して利上げ・利下げを行い、為替を安定させよう」とされたのがルーブル合意の中身でした。

しかし、旧西ドイツが金利の引き上げを行ったことにより、「ルーブル合意」の信頼性は破たんします。
市場の思惑は右往左往し、ついにはFRBが金利引き上げを行うのではないかという不安も広がり、「ルーブル合意」は意味をなさなくなっていきます。

自動売買プログラムの暴走

ここまでは、アメリカの経済背景に起因するポイントでしたが、実際の相場の下落圧力を高めたのは、この「自動売買プログラム」の暴走ではないかと言われています。

当時は、コンピューターの自動売買プログラムでの売買が一般的に行われていました。
逆指値を指すように、これ以上株価が下落したら損切を行うというプログラムが実行されていたことで、下落局面では大量の売り注文が飛びかいました。

売りが売りを呼び、NY市場は記録的な大暴落を起こしてしまったのです。

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ブラックマンデーは再来するのか?


当時のNYダウは、2500ドル台で推移していて、株価は現在の1/10でした。

ブラックマンデーのこの日は、一日で500ドル以上下げていて、現在の株価に換算すると、その10倍5000ドル以上も下げた計算となります。
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NY市場は、日本のように株価にストップ高、ストップ安が存在しません。
状況によっては、株価はどこまででも上がったり下がったりする可能性があります。
そのおかげで、巨額の富を手に出来る可能性があると同時に、突然財産をすべて失う可能性もあるというわけです。

アメリカでは、ブラックマンデーが起こったあと、このような悲惨な出来事を繰り返さないために、株価の暴落を防ぐ対策が実施されます。
それが、「サーキット・ブレーカー」制度です。

「サーキット・ブレーカー」制度の導入

アメリカの証券取引委員会(SEC)は、全銘柄を対象とした「サーキット・ブレーカー」制度を導入します。
これは、NYダウが10%・20%・30%下落した場合に、強制的に取引を一時停止させる精度です。
この制度は、アメリカだけでなく世界各国の証券取引所で導入されています。

これほどの下落が再び起きたのか?
サーキットブレーカーは発動されたのか?というと、残念ながら一度だけ発動されています。

1997年10月27日、アジア通貨危機を発端に、NYダウは -554(-7.2%) という暴落を起こし、サーキットブレーカー制度から取引を停止しました。

現在のサーキット・ブレーカー制度
2012年に改訂され、取引停止の発動基準を緩和するとともに、NYダウ平均に代って、S&P総合500種がベンチマーク指標となりました。

現在では、このようにしっかりと対策がなされていることから、ブラックマンデーのように一日で-20%を超える大暴落が起きることは考えにくいですが、数日~数週間をかけての暴落には警戒が必要です。


1987年の「ブラックマンデー」から、今年でちょうど30年が経ちます。

注意したいのは、この暴落も7のつく年であったこと。

相場のアノマリー「暴落は7がつく年に気をつけろ」が、まさにあてはまる年だったといえます。奇しくも、アジア通貨危機も1997年と7のつく年でした。

次の7のつく年、2007年は暴落がなかったものの、翌年2008年にリーマンショックで株価の暴落が起こっています。

10年で1サイクルと言われている景気の循環サイクルも終わりに差し掛かっているという話もチラホラ耳にします。
さて、2017年末の日経平均終値は、どうなっているでしょうか。
相場が上昇を続けているときこそ、下落のリスクを考慮した投資を行っていきましょう。
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