日本が抱える地政学的リスクは、北朝鮮の軍事問題だけではありません。
「地震」、これも日本が抱えるリスクの一つでしょう。
暴落が始まるきっかけは、世界経済の出来事、為替の変動リスクなど様々なものがありますが、地震は日本の抱える大きなリスクとして無視できないものでしょう。
今回は、阪神・淡路大震災の時を振り返ります。
震災発生時に、日経平均株価は、個別銘柄はどう動いたのか?
その後、いつ頃から回復傾向が見られたのか?
株価の動きをチェックしていきます。
阪神・淡路大震災の発生
1995年1月17日AM5:46、明石海峡を震源として、M7.3の兵庫県南部で大規模な地震が発生しました。
多くの死傷者を出した震災の損害は10兆円規模となり、戦後に起こった当時の最大規模の地震となりました。
阪神・淡路大震災時の、日経平均株価の動き
17日早朝の阪神・淡路大震災の発生を受け、日経平均株価は寄り付きから下落したものの、その後1週間程経つと値を戻す動きを見せていきます。
○1995年 日経平均チャート
1995年 | 日経平均株価 終値 | 1月13日比 |
---|---|---|
1月13日(前営業日) | 19,331.17 | – |
1月17日 | 19,241.32 | -89.85(-0.46%) |
1月23日 | 17,785.49 | -1,545.68(-8.01%) |
1月30日 | 18,752.88 | -578.29(-3.00%) |
株価は震災発生から2週間経たずして、3分の2近く値を戻しました。
相場格言の一つ「災害に売りなし」を表している株価と思われましたが、災害の規模の大きさが明らかになるにつれ、市場の心理は悪化していき、株価は再び下落傾向をたどります。
相場格言「災害に売りなし」
予測できな事件(台風、洪水、津波、火災、伝染病)といった災害では、株価は下がらない、という教え。
円高と日経平均の下落
日経平均は、同年4月に一時15,300円台まで値を下げ、その後上昇したものの7月には直近安値となる14,485.41円まで下落しました。
日本国内でM7以上を記録した地震が起こったのはこの時が初めてとなり、どれほどの損害が出ているのか、市場においても予測しきれなかったのではないでしょうか。
1995年 | 日経平均株価 終値 | 1月13日比 |
---|---|---|
1月13日(前営業日) | 19,331.17 | – |
4月03日 | 15,381.29 | -3,949.88(-20.43%) |
7月03日 | 14,485.41 | -4,845.76(-25.07%) |
また、ドル円為替相場が円高に傾いていたことも、さらなる株価下落の要因の一つといえそうです。
当時、日米間の貿易不均衡が顕著になっており、米・クリントン大統領は、貿易不均衡是正のために、円高を誘導する政策を実施しました。(1993年1月)
1994年12月末には、メキシコ通貨危機から米ドルが暴落し、さらなる円高が進行。翌1995年の4月19日、円は史上最安値の79円75銭まで下落しています。
震災、円高と二つのリスク要因が重なり、阪神・淡路大震災発生から半年後、日経平均株価は1995年7月3日に14,485.41の安値をつけました。
その後はドル円、株価ともに上昇傾向となり、同年12月に日経平均は震災前の19,000円台を回復することとなります。
まとめ
・未曽有の大災害となった阪神・淡路大震災だが、日経平均株価の翌日の下落率はさほどではなかった
・その後、円高の影響もあり、日経平均は半年かけて-4800円(-25%)下落した
・震災前の株価19,000円台に戻すまで、約1年かかった
震災は、いつ何時発生するか誰にもわかりません。
いざその時が来た時に慌てて株を手放さないよう、しっかりと局面を見極めていきましょう。
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